東京閑〜とん☆ちん☆かん〜日記

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カテゴリ:小さな家での小さなつぶやき( 45 )

自分の行動や態度は自分で決めるということと

他人が自分の行動や態度を自分で決めるということを妨げない、というのは
セットだろうと思っていたのですが

そうでもないのかなぁ などと
感じている今日この頃です

いろんなことが なんだかもうよくわからなくなってきました
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by majalis_k | 2013-07-01 12:53 | 小さな家での小さなつぶやき

写真入りの年賀状

子供だけの写真が入った年賀状をもらうと腹が立つ、
人格を疑う、そういう友人とは絶交すべし、みたいなグループが
あるSNSの中に存在することを、あるとき偶然知ったのだけれど
…まー いろんな人がいるもんですね。

家族写真として写っているものはかろうじてOK。
でも付き合いのある当人の近影がなく
子供(たち)だけの写真を平然と送ってくるとか
(子供に恵まれない家庭もあることだし)想像力や配慮に欠ける、ということらしい。

まあうちも子供に恵まれなかったので
気持ちとしては理解できなくもない部分はあるけど。
とはいえ実際そんな風に腫れ物に触るような気の遣われ方を
されるほうが傷つくし、余計なお世話だと思う。私はね。(^^;;

むしろそういうことを声高に言う人たちがいることで
子供がいない夫婦が必要以上に恐れられたり
付き合いを避けられたりするようになったら
それこそ迷惑だよなぁ、とすら思う。

ほかにも言い分としては
私とあなたが友人であり、知りたいのはあなたの近況であって。
子供とは友達ではありません。興味がありません。
自分たちの興味の対象を押し付けないでください。
…云々 あるようだけれども。

それもまあ一見筋が通っていそうにみえるけど
そもそも興味がないならスルーできないもんかね? とも思ったり。

いろんな価値観があるから
そーゆーの好きじゃない、と表明するところまではいいとしても
出す側の自由ってのもあるじゃない? 功利主義以降の社会においては
相手の自由を妨げない交換条件として、自分の自由も保証されてるわけですよ。
あるていど個々に判断を任されている領域で
やめてください。といった時点で越権になるんじゃ?

それに、嫌だと感じるのは自分の感情なので
相手に明らかな悪意とか 被った実害が認められなければ
それを処理する責任は相手でなく、自分にあるよね。
相手に変化を要求するのはまずお門違い。

まあ気に入らないなら黙って付き合いを切る、というのは
対処法の一つかもね。年賀状一つでそうなるなら
その程度の付き合いってことだし どっちにとってもたいした損失じゃないはず。

ネットで仲間を募って陰口を叩き合うのも
気分転換というか矛先をそらすという点では対処法の一つかも知んない。
けど、仲間を求めるのって結局自分は正しい、
相手が悪いって言い合いたいからだと思うんだよね。たぶん。
非難する、貶めるということは間接的にやめろというのと同じ、
相手の権利を侵害してることになるんじゃないかな。

百歩譲って、やるなら承認制にしてみえないところでやんなよ、と。
それこそ配慮足りないんじゃね? それとも嫌がらせとして故意に公開してる?

ある感情を持つこと自体は
ポジティブであってもネガティブであっても
善くも悪くもない、ただあることだけれども。
いずれにせよ あくまでも個人的なものだということは
みんな覚えていたほうがいいと思う。
その個人的な経験を適用して 他者を裁く、ということには
かなりの飛躍があるように私には思えるんだが。

とまあ ここまで書いてきたことも 私の感情、ですけどね。(^^;
(ちょっと非寛容すぎる感じがしていかがなものか、っていう気持ち)
だから裁くつもりもないけれど 見苦しいな、とか
つるんでるのが気持ち悪いな、とは感じます。個人的に。

まあ 子供の写真入りの年賀状を出す人は
出されるのも気にならないだろうと仮定すると
腹が立って仕方がないという人はあまり多くなさそうな印象です。
すくなくとも我らこそが常識人、と錦の御旗を
振りかざせるほどの勢力ではなさそうなので
個人的な感情として 個人的にそっと処理するのが
むしろ「常識的」態度をしめすことになりそうですけどね。

単純に子供は絵になる、変化がわかりやすい、
まだ成長途上にあり 親以外からはぶっちゃけ「みんな同じ」に見えるwので
半ばアノニマスな存在として使いやすい素材、ということでも
あるでしょうし。犬猫と一緒、と言ったら怒られるでしょうけどw
(あ、てことはペットの写真の年賀状にも腹を立てる人が一定数いるってことでしょうねw)

ほんと、猫飼ってますけど よその家の猫は見分けつかないですって。
個性があるのはわかるけど、匿名の個性なんて記憶に残らないし。

大人になってしまえば、毎年毎年報告しあうほどの
変化がないことも多いですしね。安易と言えば安易かもしれないですが
ただでさえ忙しい年末にやることですから ある程度仕方ないことかと。
ちょっと想像すれば 使う側の心理もわからなくもないですよ。

相手に想像力を求めるなら、自分もまた
想像力を行使しなきゃ、ということでもあるんじゃないでしょうか
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by majalis_k | 2013-01-04 14:43 | 小さな家での小さなつぶやき

あけましておめでとうございます

そんなわけで今日は元旦ですw

とはいえ昨日の続きということに変わりなく、
何もかも新しくなるわけじゃないですけどね
年頭だからといって特別なことは何も無いです

季節の行事とか風習とか節目とか
なるべく大事にした方がいいんだろうという認識は
人並みに持っているつもりですが
いまや休暇としてはGWとかの方が長かったりするくらいで
(気候だって冬至直後に比べたらずっと過ごしやすいし…)
おまけにやらなきゃいけないタスクも満載で

めでたいのかありがたいのかなんなのか
そもそも休みなんだっけコレ?
というくらいに疲れ果て ぐったりと寝正月ですよ、っと

まあいろんな人に事細かに説明するのも面倒くさいので
おおむねまずまず平穏幸せに暮らしていますよ、という
メッセージを何となく発信したりされたり 交換をして
ああそんならよかったねと 無責任に安心したりされたり

なにも本当のことこそがエラいというわけじゃないし
本当のことを知らせても知らされても
おそらく何にもしてあげられない してもらうことも期待できない
だからそうするほかないんだけど

ええ それがナニ?って話です

そうして 行き場のなくなった「本当」は
どこへ行っちゃうのかな いつか消えるの?
それとも積もり積もって不穏な何かに変化(へんげ)するの?

自分が割と無視されがちな透明人間キャラなのでww
あることを あたかも無いように扱うことに
人並み以上の抵抗を感じるのかもしれません
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by majalis_k | 2013-01-01 22:33 | 小さな家での小さなつぶやき

「お互い様」ではあるけれど

一番断捨離したいもの
それはオット…とかいう恐ろしいアンケート結果が
とある女性誌に載っていましたが。

先日のこと。

天井の雨漏り修繕が入るので ベッドを動かしたら、
手の届かないスキマからオットの塗り薬が出てきたんですよ。
皮膚科でもらったやつ。寝る前につけるつもりで、
サイドテーブルに置いておいたのが転げたんでしょうけどね。

明らかに数ヶ月は経っていて
中身も変色していたし 塗り薬なんてワセリンが主なわけで
ベトベトしたところにホコリがはり付いてもう(汗)
ギャー!ばっちいのが出てきたー!!って感じだったので
そっこーゴミ箱に放り込みましたよ。

なにしろ皮膚科に行くたび同じ軟膏もらってきて
家中にゴロゴロしてるし。そうでなくても
数ヶ月それナシで過ごして事足りていたわけで
つーことはもう要らないでしょこれ、と思いませんか?

で さらに数週間経った今朝、出かける前に
その軟膏を塗りながら「一個なくなった」
(それさえいつの話だよww)とか言うから

出てきたけど変色してたし捨てた、って言ったら。

怒るんだよねーこれがwww

意味わかんないから 喧嘩にもならないけど。
腐ってようがなんだろうが「勝手に」「断りなく」というのが
気に入らないらしい

ならば言わしてもらうけど

私が旅行に行ってる間、ネ○カフェの空き瓶「勝手に」捨てたよね? 
いつも詰め替え用を買って入れ替えてるの、知ってたよね?
(以前のリフィルが詰め替えにくくて さんざん愚痴ってたからw知ってるはず)

リフィル買ってきて瓶がないことに気づいた私は一瞬激怒したが
資源ゴミの容器を捜索して無事救出に成功。
感情を抑えて 「…捨てたでしょ」って静かに聞いたら
「知らない」ってすっとぼけたよね?www
猫とあんたしかいねーよ、この家の中には。
仮にも私なら「プラスチックのフタをつけたまま分別せずに」捨てたりは
しないのだ。絶対に。

他にも枚挙には暇ないが そんなこんなで

夫婦の日常って、こういう
「ちいさくてくっだらない」攻防のくりかえしなんだよねー…と
先日母と訪れた兄夫婦の家で 兄嫁と3人そんな話で
「あるあるある〜〜」とばかりに盛り上がりましたとさwww

平和と言えば平和、なのかなー

まあ夫婦でなくても、よくありますよね
他の人から見たら「これゴミ?」っていうものも
本人的には「要るの!」というケースは多々。

私自身はオットであろうと他人の「もちもの」に関しては
基本的につべこべ言う気はないけれど、
「置き場所」に関しては まあ 多少はいいたくなりますね。
とはいっても 共同の場所にできるだけ私物を置くな、って
ただそれだけ、いっこだけなんですけど。

個室のない家の中で唯一私的な空間と言えるのは
自分の机まわりだけなんで。 やりかけのアレやコレ
検討中のアレやコレで …私の机はまあ相当雑然としてますww
自分で自分にそこだけは良し、と許してます

オットの机はといえば…真逆です いつも机の上はスッキリキレイ
自分では掃除好きキレイ好きだから、ってことになってますが

…私にいわせりゃ 私が自分の机に山積みにしているような私物
アレやコレを 家中に広げているから、に過ぎないわけで。
自分の机の上だけキレイにしちゃって 何言ってんの? って感じですw(^^;;

まあ これもまた 傍から見たら「目くそ鼻くそ」ワールドですよねww
くだらなくて笑うしかないところだけれど
積もり積もればそれなりにストレスではあります。
「お互い様」の呪文の効力やいかに? どこまで続くものかしらん?








「くっだらない」を繰り返しながら 愚痴っぽいこと書く日々が続いてますが
ネガティブ垂れ流してスミマセン、と謝るべきところかも知れませんが。

…もういいじゃん、べつに。

ここは敢えてそう言いたい。うん。 もういいじゃないですか。

きれいごとしか吐いちゃダメ、ネガティブ禁止、みたいな
マナー強制にはもういささかうんざりしてるんです、私。
日本社会って、これまでだって十分そうだったのに
苦しい心のうちを誰にも言えない言いにくい、みたいな風潮を
さらに強化して なんかいいことあるんですか?
人間なんてどんだけ表側きれいにしたってひっくり返しゃ糞袋ですよ。
でもどっちも本当のことじゃないですか。 それでいいじゃないですか。
きれいごとでの取り繕いは、顔を合わせてる間だけでもういいでしょ。みたいな。
胸にためてるうちはものすごい毒々しいドロドロしたものに思えても
晒してみたら案外くだらないってことがよーくわかったりするんですよ。
誹謗中傷とか強迫じゃねーんだから、愚痴くらい放っとけっての。

とまあ、開き直りっちゃそのとおりですがw 最近はそんな気分で。
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by majalis_k | 2012-11-18 12:47 | 小さな家での小さなつぶやき

いまはスピリチュアルなんちゃらっていうらしい

霊感商法と不妊治療
すんごい語弊があるかもしれないけど
ハマっていく心理としては非常に似てる気がするなぁ、と。
この前スピリチュアル商法被害に関する番組を見ていて
ぼんやりとそんなことを考えた。

もちろん不妊治療がインチキだとかいう気はないし
あくまでも自分が治療を受けていたときの
個人的体験からの印象論だけど。

疑いながらも次々とお金をつぎ込んでしまう
一番の要因は「(これまでの分を)なんとか取り返したい」という心理
焦りや後ろめたさだったりするんだそうです

自分は騙されない、と思っていた人ほど深みにはまるというのも
それならわかる気がするよねー そういう人ほど
そうした思い(焦り・後ろめたさ)は強くなるだろうから。

不妊治療も なかなか止められなかったのは
取り返したい…って言いかたはちょっとえげつないけど

あともう1回、やってればできたかもしれないのに
ここでやめてしまって あとで悔やむんじゃないかとか

具体的にどこが悪いということもみつからないのに
仕事や家事に穴を開け お金をつぎ込むという
治療(なのか?)を続けることに対する後ろめたさとか

とにかくつぎ込んだものに対して結果を出して終わりたい
いうのはたしかにありましたねー

10人に2人、とかいう統計(の一例)だけ見ると
10回やれば2回はチャンスがあるんじゃないかとか
単純に思いますしね。(実際は卵のグレードとか、もっと複雑)

冷静に考えれば 圧倒的に不利なギャンブルみたいなものということは
わかっている わかっていても …次はその目が自分に来るかも?
10人のうちの2人に入れるかも?とか 思っちゃうんですねー
思いたいんでしょうね 信じたいことを信じてしまう

要するに 現実との直面や決断を先送りした結果とコスト、という意味では
同じなんですけど。 弱みを握られているという点もまあ同じっちゃ同じ

ただ霊感商法被害と違うのは 言葉巧みにそそのかされたわけではなく
自分の選択の結果なわけで、100%自己責任ってところですかねw

泣いてもわめいてもかえってくるものはない、という点で それなりに重いですけど
人を責めたりとがめたりせずにいられる分と思えば 背負えなくもない重さ

うまくいえないけど 何かを人のせいにしている間は
そこに魂が縛られてしまう気がするんですよねー …自由って重いんです
だけど自由でいたければ 背負うしかない重さっていうのもあって。

自分で決めたり 選んだり その重さをいっとき手放したくて
人は占い的なものに頼るのかも知れません。
ほんのいっとき、息をつくために。また背負う力を回復するまで。
そのようなためのものなら いいんじゃないですかねー
占いだろうとスピリチュアルだろうと。(私はやったことないけど)
最終的には また自分で背負うしかない、ってことを忘れさえしなければ。



♪  私たちは(破れた愛の)代償を払っただけでなく
  それについてくる税金のような苦しみだって、いまだに払ってる
  すべてを捧げたけれど 得たものといえば何もなくて
  そんな風に人を愛してしまうなんて お馬鹿さんね私  ♪


…カーラ・ボノフは そんな風にうたってますけど
対象が人になり 貢ぐものを愛情に置き換えれば
誰だってやってること やってしまうかもしれないこと、ですよね。
何も特別なことじゃないし 誰でも陥る可能性のあることなわけです。
自分には関係ないって言い切れる人はいないんじゃないでしょうかねー

そうそう 歌の通り、グズグズすると結局高くつくのですww
まあ 自分で背負いきれる範囲なら、それもまた人生ってことで…
ぼちぼち払っていくしかないじゃないですか?^^
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by majalis_k | 2012-11-18 11:22 | 小さな家での小さなつぶやき

「マイケル・サンデルの究極の選択」という番組

NHK総合で放送された白熱教室シリーズ。
たまに見ているけど、なかなか面白い。
学生時代に戻ったみたいで懐かしくもあり、刺激にもなる。

サンデルさんはハーバードで教鞭をとっている方だそうで
「JUSTIS」をテーマにした講義は大変な人気授業なんだそうです。

今日のテーマは「お金で買えるもの、買えないもの」。

成績に応じてお金がもらえる学校、とか
お金を払えば逃れることのできる徴兵制度、とか
平和ボケした頭にはちょっとリアルに想像しにくい例え話もあったけど

代理母ビジネスへの言及なんかは、自分の身にかなり引きつけて
考えることのできたテーマだったように思う。

結構長いこと不妊治療してきたけど、
インドでは合法的に代理母ビジネスが行われている、
女性の生活向上や自立支援のためにむしろ推進されているということを
この番組で初めて知った。はずかしながら。
(ていうか そういう選択肢については敢えて考えないようにしていたのかな…キリがないから)

私の場合、だけど ほぼ毎回卵子は採れて、受精もできていたので
その話を聞いた瞬間「早くインド行けばよかった!」と思いました、正直。
空しく消えていった卵たち(&マネーw)を思うと うっすら涙さえ浮かびましたよ。

若い学生たちの理想論の前に若干いらだつ様子を見せた某女優さん(同世代w)の
気持ちもよくわかる気がした。自分はこの先いつでも普通に産める、と思ってるよね?
産めないってことがいろんな意味でどんなに傷つくことか、その可能性すら想像したことないよね?
まあ私も実際そうなるまでそんな気持ちわからなかったからw、それは仕方がない。

わからないことがあるからこそ人の話を聞くし、議論だってする意味がある。

それに、代理母って何がいけないの?って思ってた私も
番組で交わされた議論を聞いて、考えて、少し意見を変えたもの。

一方にホントに子供が欲しくて、かつ支払い能力のある人たちがいる(てかヒイヒイ言ってますがw)。
他方にお金や貧困から脱するチャンスが必要で、かつ子供を産む能力のある人たちがいる。
…取引成立、で何がいけないの?ギブアンドテイクじゃない?

ここまでだって相当なお金をつぎ込んで、生命操作に近いといえばそうかもしれない
不妊治療を続けてきた。その延長線上にある選択肢に過ぎない。そんな風にも思えた。

彼女たちの現在の生活と今後のことを思えば、むしろいいことなの。と
インドの女医さんもコメントしてたし。

…だけど。善い悪いの判断とは別に フェアかアンフェアか?という意味では
やっぱりフェアじゃない。と感じたのは、実際に代理母をしている女性の
「私は少し悲しいけど(、元気な赤ちゃんを渡すことができてうれしい)」という
コメントだった。やっぱり、お金のためと完全に割り切れる行為ではないんだ、と。
そういいながらの笑顔は、どこかとてもさびしそうだったから。

彼女たちは、主体的にこの仕事で報酬を得ることを選択している、
強制ではない、自由主義経済の世の中なんだ、というかもしれないけど。
「子供のない夫婦に人生を変えるほどの大きな喜びを与えられる、感謝される」という
使命感や喜びだけで、この仕事を選択できるのか?といったら…たぶんできないんじゃないかな。

貧困という前提がなければ誰も選択しない職業、という時点で
やっぱりフェアじゃない。札ビラで頬をはたくに等しい行為なんだと思った。

貧困脱出のための、過渡的な非常手段として認められなくはないとしても
最終的に推進されるべきところは そこじゃなくて
貧困や格差の解消だったり、女性の地位向上だったり、そこなんだよね。

それと、代理母出産という選択も自由かといえばそうではないよね。
やっぱり費用がまかなえる一部の人に限られるという点でアンフェアだ。

もちろん完全にフェアな社会なんて実現できるとは思わない。
自由がお金の力でもって歪められたり有限だったりするという現実にも
みんなとっくに気づいているだろう。

大なり小なりお金に困ってさえいなければ、嬉々として従事はしないであろう
サービスというのは、他にも臨床治験とか、いろいろあるかも知れない。
でも誰かがやらなくてはいけないこと、というのもある。
その線引きはどこで行うのか、ほんとにほんとに難しいところだけれど。

すくなくとも 代理母については、推奨されるべき選択肢ではないと考えを改めた。
だって彼女の笑顔は本当にさびしそうだったから。傷ついた人の笑顔だった。
貧困や諸事情さえなければ選択しなかったのだろうと、強く感じられたから。
お金の力でそういう選択をさせてはいけないんだ、と。

買う人がいるから、売る人がいる。いっときはお金で何とかなっても
自らを傷つけながらであっては、なんというか…先がないんだ。

そう感じたので。例えば十分なお金が手元にあったとして、
そういうサービスを受けられる国や地域があると知っても、
この番組を見て考えを変えたいま、私は利用しない。

…でも人間は弱いから。不妊治療を終え気持ちも整理できつつある
いまだからそう思えても、これが数年前だったら…
不発を繰り返して焦りまくっていた治療中だったら
そう言い切れていたかどうか、わからない。というか、まるで自信はない。

何だか煮え切らない話だけどw 言いたかったのは
人の意見や議論を聞いたりする機会って、家庭に入ると激減してしまうのだけれど
凝り固まった自分をほぐすために、たまには必要だなーということ。

結論なんてそう簡単にでるものではないし 答えは一つじゃないと
頭ではわかってても いつの間にか凝り固まってる、ことにさえ気づけないw

自分なんかが大局的なことをいくら考えたって
世界は変えられないし救えないかもしれないけど
ひとりひとりが考えることをやめてしまったら そこで終わると思うから

これからも あれこれをぐだぐだ考えることを、やめないでいようと思う。

(それにしても 昔は切れ味鋭い論客という印象だった猪瀬さんが…あらら。とちょいガッカリw
やっぱり書くという行為から離れちゃうと作家はダメになるのかな 知事にせよ副知事にせよww)
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by majalis_k | 2012-02-19 00:40 | 小さな家での小さなつぶやき

愚痴です

婚家のある町の駅前が、ここ数年で急激に整備された。

もともと古い城下町で道が狭く、入り組んでいるのに加え
田舎ほど車社会が進むという例に漏れず
郊外のショッピングセンターに客を取られた駅前商店街が
行政を巻き込んで本腰を入れたのだろう。
大きな市営駐車場がつくられ、民間の駐車場もびっくりするほどたくさんできた。

いままでちょっとくらいなら停めておけそうだったスペースは
取り締まりが強化されるか、つぶされるかしてなくなった。

そんなわけで、昔から住んでいる義父母のような人たちにとっては
ごく最近の変化であり。ちょっと車を停めるくらいでお金をとられるなんて
受け入れがたいという心情もわからなくもない。
(実際広々とした駐車場は、ガラガラと言っていいほど空きが目立っていた)

だけどね この前帰省した時に家族で食事に行ったんだけど
そのガラガラの駐車場の目の前に、お目当ての店があってね。
お店の駐車場は2台分くらいしかスペースがなくて、
1台分はお店の車が停まってた。
車庫入れの下手なオットがもたもたしているうちに
スッと軽自動車が入ってきて、ハイ終了

じゃあしかたないから、目の前の空いてる駐車場に
入れればいいんじゃない? って私なんかは思うんだけど
もうどうする?どうする?って大騒ぎのオット親子。 はぁ

正直 お金を払いたくないがためだけに 車でウロウロしたりするの
アタシ嫌いなんだよね、なんかセコくて。もううんざりしちゃって
そこに停めれば?っていったら ごちゃごちゃうるさいとか言いかえされて
くっだらないことで夫婦喧嘩に発展ww
東京じゃないんだから ここではうちの流儀にあわせろ、だって
(そんなの 流儀とかご大層なものとは思えないけどwww)

観光地のぼったくり駐車場の値段なんかはさすがに腹立つけど、
公営駐車場なんだから、たいした金額じゃないし。

老後資金が心配なのはわかるけど 持ち家で余裕ゼロという生活じゃなし
年金もらうだけもらって、地元にお金を落とさないってのも正直どうかと思う

義父母すごくいい人たちだし 石女wのヨメである私にもよくしてくれるし
いままでがんばって生きてきたことに敬意は払うけど
ちょいとやりくり上手が過ぎるんじゃねーの? と思うこともしばしば。

節約家というだけならまだいいけど 義父なんてタダなら何でももらおうとするんだよね。。。
たとえば一緒に車のディーラーを数件回ったときには、行く先々で ポケットティッシュやら
うちわ、カレンダー、チラシ、わけわからないキャラクターのストラップまで、ありったけ。
帰るころにはポケットがパンパン。家はそんなものばかりであふれて、ゴチャゴチャ片付かない。
タダのお茶やお水は何度でもお代わり要求するし、テーブルにおいてある調味料は全部かける。
味なんて関係ないみたい(この前カツ丼にドレッシングかけてた。。。)ちょっと恥ずかしい

いくら家族が注意しても もう年も年だし、聞く耳持たないんだよね

居間の壁が見えないくらい カレンダーやら、動かないのも含めて時計がいくつもかけられて
不要品がいっぱいになるたび増設を繰り返した納屋が敷地を占領していた、前の家が
火事になって。。。家財はほとんど失ってしまったのに 半年経たないうちに
仮住まいのアパートの部屋は 火事の前の家と同じ状態にもどりつつある。
台所に立つ義母を手伝おうと思っても もうカオス過ぎてw
手がつけようもなく立ち尽くす、という状態に

あれだけドラスティックな事件があっても変わらないなら
この先も変わらないんだろうと思ったほうがいいよね
だからとうにあきらめてはいるんだけど ちょっとガス抜きに書かせてもらいましたw
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by majalis_k | 2011-07-23 23:55 | 小さな家での小さなつぶやき

原発事故と節電

節電、やってますよ。
これを機に原発廃絶にもっていこうぜ♪という気持ちもあるけど
なにより我が家の家計に余裕がないからだ。
まずは自分の生活が立ちいかなければ世のため人のためどころじゃない。

だけど、ホントは電力は余ってて 政府や東電はウソをついてる。
マスコミもウソと知っていてもそのことは言わない。
(祭りが続きさえすればどっちだっていいんだ。風向き次第でどっちにもつく)
逼迫感を煽って「ほらねみなさん やっぱり原発なしじゃ足りないんですよ」てな方向に
世論を持っていこうとしている。…と怒ってる人たちもいる

それはたぶんそうなんだろう。と私も思う。
原発は電力のために必要なんじゃない。政治のために必要だったんだろう。

やれ97%だ、ギリギリだと煽りながら
実はまだ200万キロワット以上の余力を残しているというが
それもまたその通りなんだろう。たぶん

だけど では 私たちはどうするのがいいのだろう?

権力側のウソを糾弾し続けても 彼らは態度を変えることはないだろう。
見え見えのウソでも、シラを切り通す術には奴ら長けている。
忘れっぽい日本人のことだから 頭を低くして嵐をやり過ごせばいいだけ
時が過ぎるのを待てばいいだけ

では だまされているんだ、どうせ電気は余っているんだ、と
やせ我慢なんぞすることぁない、と 今まで通りに電気を使う生活に
とっとと戻るべきなのか? と言えば それも否だよね

ここで目的を考える。手段は目的によって変わるからだ。

目的は原発要らなくない?という意見にリアリティを持たせること、であって
そのための手段として、政府や東電の発言のアゲ足をとることは
全く意味がないとはいわないが、馬耳東風のようなもので
効果が高いとはいい難い

ウソだろうがサバを読んでいようが とにかく
いままでよりも原発の発電量のぶん、少ない電力でやり通すことだけが
原発にNOを突きつけられる唯一の方法だと思う。
相手の読みのさらに上手を行くしかないんだと思う

だから お偉いさん方の言うことが ウソだろうとなんだろうと
そんなの関係ねぇ(って もう古いねw)やるべきことは変わらない。
どっちみち「節電」が答えだ。 だまされてやるわけじゃない。
それしかないと、自分が信じてるから

もちろん強迫的に電気のスイッチを消して回ることはしないよ。
健康を害したり、仕事の効率を下げるほどのやせ我慢もしない。
使用が集中する時間帯をさける、とか
ダラダラ無自覚につけっぱなしではなく
この気温、この湿度ならとりあえず1時間だけ、とか
毎度異なる状況をちゃんと読んで決めて、タイマー利用するなど。
電気はもう使わない、とは言えない。 都市で暮らす以上
そういう生活には戻れないから、できるだけ。でもね

足りないって推進派がいうのは、ピーク時を問題にしているわけであって
平均化されれば総量としては足りるはずだから。

もっといえば、しょっちゅう停電するのが常態なら
半ば強制的に みんながそれに備えるようになるでしょ
電気の使い方、工夫するようになるでしょ
…それでいいんじゃない?

あと何年でそうなるよーって計画さえ示してもらえれば、
医療機関なんかでも準備できるでしょ?
途切れなく供給されるのが当たり前、なんて
むしろ他力本願過ぎたんだよ。お人好し過ぎ、お上を過信し過ぎ。
だから何かあるとすぐ人のせいにしちゃうんだ。
最悪の事態には自力で備えておかなきゃ。

いままで人任せでよく安心しきっていられたなー…なんて
いまとなっては自分の甘さにもぞっとする思いだ
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by majalis_k | 2011-07-03 01:22 | 小さな家での小さなつぶやき

みんな?かつて?

高橋源一郎さんのツイートをフォローしているんですが
昨夜は堀江敏幸さんの『なずな』という小説を読まれ感じられたことを
つぶやいていらっしゃいました。

その小説というのは、独身男性である「私」が
生まれたばかりの、弟夫婦の娘「なずな」を育てることになり
育てながら少しずつ変わっていく「私」の思いが描かれた小説だと言うことですが、
私自身はまだ読んだことはありません。

高橋さんのツイートはこんな風に締めくくられています

「(前略)…ぼくもまた、一日中、子どもを見つめている。
そんなに熱心に他人を見ることは、ほかにはない。
おそらく、恋愛がもっとも燃え上がっている時の恋人を見る時以外に、
そんな風に見ることはないだろう。
そのような視線だけが「いること」を確認できるのである。

だが、とぼくは思う。ぼくたちは、みんな、かつて、
その視線で見つめられた経験があるのだ。
ずっと昔、親たちは、ぼくたちを、
「こんなにも だいじに まもられている」ものとして、
激しく見つめてくれていたのである。
自分よりもずっと大切な、唯一の存在として。」

…みんな?かつて?

そうかなぁ? そうだったのかなぁ?

私自身は、正直あまりそんな風には感じられなかったし、
いまも感じられずにいる。

週休2日なんて海の向こうのお話だった時代
あんなに働いてたのに さして裕福でもなく、
3人の子どもを抱えて 大変だったんだろうな…

大人になって、そういう生活の苦労みたいなものに関しては
理解や同情もできるようになったし 育ててくれたことに感謝もしている

だけど あの時代 子どもが当たり前にたくさんいた時代
鍵っ子、なんて言葉が流行語のように言われていた時代
狭い家の中では すぐジャマにされて
「外に行って遊んでなさい!」と言われるような時代に
1日中、子どもをそんな視線で見ていられる余裕のある親が
一体どれだけいただろう? と 私なんかは思ってしまうのだ

お父さんが銀行員や公務員で お母さんが専業主婦で
畑とヤブばかりのウチの周りなんかよりは
ちょっと品のいい住宅街に庭つきの家と自家用車があって、
子どもにはそれぞれ個室が与えられている
遊びにいくとお母さんがお菓子と紅茶を出してくれる
そんな家庭だけなんじゃないのか?

それともそんなことは関係なく
我が家固有の問題だったんだろうか?
私個人の感受性の問題だろうか? それは中年になったいまもわからない

すぐ上の年子の兄が手がかかり 赤ん坊の私にいたずらもするので
私は押し入れの布団の上や、2段ベッドの上に寝かされていたという。
 気がついたら大きくなってたのよ、この子は。
いつか母がオットにそんなことを言うのを聞いたことがある。
 泣きもせず 目だけぎょろぎょろさせて

そうだなぁ そうかも知れない
いっぱいいっぱいに見える大人たちを前に
誰のジャマにもならないよう
ひっそりと生きるクセみたいなものはついた
いるのかいないのかわからない、とよく言われたし
いまも時々言われる 「あ、びっくりした いたの?」

誰からも見つめられず 自分がどんどん透明になっていくような気がした


まあそれはそれで 誰かに迷惑かけるわけじゃなし
気楽でいいやと思えなくもない ただ

不妊治療してまで 子どもという存在を得ようとしたのは
自分もかつてこのように 愛されていたと、身で心で 実感したかったんだろうと思う。

だけど 得たら得たで、子どもを愛せない自分に悩む親になっていたかもしれない。
結局自分が育てられたようにしか、子どもも育てられない そんな説もあるし。

ネグレクトとか虐待とか ワーキングプアとか
最近の問題みたいに言われてるけど 昔からそこらじゅうであったと思う
当事者が 自分たちの状況を理解したり 説明する言葉や概念を持たなかっただけの話なんだ

たとえば 父は直接的には過労で死んだと、私たち家族は思っているけど
私が子どもだったあの当時 過労死なんて言葉はなかった

そこら中に蔓延している混沌から 誰かが抜き出して整理して
タイトルやラベルを付ける そうしてはじめて「問題」は「存在」する。
そうでなければ あってもないのと同じことなんだ

注目がなければ いてもいないのと同じ、というのに これも似てるね
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by majalis_k | 2011-06-19 13:37 | 小さな家での小さなつぶやき

食べるもののこと

放射能汚染も心配ですが
風評被害に苦しむ生産者の皆さんが気にかかる今日この頃

放射能以前に農薬の問題だってありますし
どこまでが有機でどこまでが無農薬、とかいう表示の問題(不毛)なんかも

ほかにも我が国は食料自給率が低くてこのままじゃいかん、とか
いやいやカロリーベースでのデータは意味がない、とか

諸説紛々で もうワケわかりませんよね


もちろん大局を見すえるのは社会の一員として大切な視点ですが
一消費者の行動としてはもっとシンプルに考えたいところ。
それに誰かがこう言っていたからあれを買う、これを口にするというのでは
自分の行動に責任がもてないし。なんかあったら人のせい、という
生き方はあんまり好みじゃないし。


で結局のところ。

あくせく働いて手にしたお金を、誰に払いたいと思うのか。

…もうこれだけでいいんじゃね?とか思っちゃいます


輸入だ国産だ有機だ無農薬だ無添加だ天然だ養殖だ、と
いろいろ選択肢はありすぎるほどありますが

食料自給率を上げるために国産を買おう!とかいうよりは

○○県○○の誰それさんが 頑張って作ってくれた野菜を応援したい!
というほうがなんか腑に落ちる気がするんですよねー

そういう考え方で見ていくと、不思議と
安いからこっちでいいや、という風にはならないものです

生活は細かな取捨選択、決断の集積ですから
判断基準もシンプルにしないとやってられませんしね

その点、お金の流れというのは全ての経済活動に共通することなので
応用も利くし なかなか力強く揺るがないものさしなんじゃないかな、と思います

同じ働く人間として、良い仕事をしていると思える
人やモノに正当にお金が渡るような世の中であって欲しいという
願いも多分に入ってます。カネカネいうと世知辛く聞こえますが
実効性のある応援、って思えば 悪くない気がします

そんなこんなで 最近は
なるべく福島や茨城、群馬千葉の産品を選んで買うようにしてます。
ちいさな子供がいれば、より安全安心なものにお金を使いたいということに
なるのは至極当然でしょうが、おっちゃんおばちゃんだけの我が家では
そうした心配もないので 産地の応援のほうにまわることにします
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by majalis_k | 2011-05-04 11:47 | 小さな家での小さなつぶやき